いつでも、どこでも、なんでも、
できる。
社会福祉の理念として「ノーマライゼーション」という考え方がある。障害者もそうでない人も、同じステージに立って共に働き暮らせるような社会こそノーマルである、という考え方だ。この理念をDTPで実現しようとしているユニークな企業が北九州市にある。株式会社サンライン。重度身体障害者が社会の第一線で活躍できる職業分野としていち早くDTPに着目し、現在では印刷物にとどまらず、3DのCGやCD-ROM、Internetのホームページの製作も手がけるなど、九州のデジタルパブリッシング化を牽引する技術集団として、その存在が注目されている。
●DTPだからできることがある
株式会社サンラインは、平成3年、重度身体障害者の雇用を目的に、住宅地図出版で知られる株式会社ゼンリンが出資企業となって、福岡県北九州市との第三セクター方式で設立された企業だ。
「パソコンを使う仕事なら、車椅子でも問題ない。親会社のゼンリンが住宅地図作成の企業なので、とりあえずは住宅地図に入れる文字の入・出力に関連する業務から始めよう。また、ちょうど社会的にもパソコンでのDTPシステムが稼働し始めた頃だったので、第二段階としてDTPの作業もできるようになれば、というのが最初のもくろみでした」と常務取締役の大川力氏は語る。
新社屋の完成が遅れていたこともあって、当初はゼンリンの社内を借りて、主に住宅地図用の文字入力業務を請け負うことからスタートした。だがオペレーターとして文字入力の業務をこなすには、かなりのスピードが要求される。麻痺や弱握力などのハンディキャップがあると、どうしても限界にぶちあたってしまうのである。
「ゼンリンの社員が1時間に2500文字を打つのを見て、少なくともその半分を目標におきましたが、実際にはどんなに頑張っても500文字程度が限界。この分野で健常者と肩を並べるのはむずかしいと判断せざるを得ませんでした」
しかし、結果的にはこの判断が功を奏した。文字入力に関しては外部のオペレーターに委託し、サンラインとしてはDTP技術によって独自の道を切り開いていこうと方針を変えたのである。その着眼のポイントは、Macintoshならマウスでほとんどの操作ができるというところにあった。
とはいえ、入社するまでパソコンに触ったことがない社員がほとんどだ。とにかく誰か詳しい人にアドバイスを受けようと、福岡市でMacintoshによるDTPステーション“エータイムデザインパーク”を運営し、DTPに関するコンサルティングも手がけている覚田義明氏(現ペンシル有限会社)に相談が持ちかけられた。覚田氏は、当時を振り返ってこう語る。
「その頃、DTP導入に関しては北九州市は遅れていて、印刷業界でもMacintoshを導入しはじめた企業はあったものの、積極的に使いこなしているところは少なく、実際の業務は従来のアナログ的なやり方で行っているところがほとんどでした。そんなときに、こうした第三セクターが、しかも未経験者の集団でチャレンジするという。普通に考えればとんでもない冒険ですが、障害という制約があるだけに、指先の器用さに頼ったり、あちこち移動する仕事はできない。逆に言えば、一般の印刷会社のように、手作業のままいくかDTP化を進めるべきか、というような迷いもないわけです。僕はこれはおもしろいモデルケースだ、ひょっとしたら九州のパイロット事業になるかもしれないと思いました」
●マウスでほとんどできる
覚田氏はまず、DTPとは何かを理解してもらうためのDTPセミナーを開き、インストラクターを派遣して、QuarkXPress、Illustrator、Photoshopといったソフトウエアの操作指導を行っていった。
「まず一人ひとりの障害の度合を見極め、機能的に何ができないのか、どこまでならできるのかを理解した上でないと、的確な指導することはできません。ですから、妙な気遣いや遠慮はせずズカズカとストレートに聞きました。ただ、Macintoshの場合、マウスさえクリックできればほとんどの操作は可能だし、同時に2つ以上のキーを押さなければならない操作も、イージーアクセスを使えば何とかなります。DTP技術を習得する上で、障害そのものがネックになることはほとんどないというのが僕の印象でしたね」
この点をサンラインのグラフィックマネージャー畑間英一氏に尋ねると、こんな返事が返ってきた。「僕のような四肢麻痺の者にとっては、マウスだけでほとんどのことができるんだというのは、それはもう感動的なことでした。しかも、Macには最初からイージーアクセスという障害者モードまでついている。これはスゴイ機械だと…。キーボードも、僕の場合、ペンシル型の消しゴムを手に固定して、その先端を使って叩くという方法で解決しましたし、慣れればけっこう速く打てるもんですよ(笑)」
平成5年には新社屋も完成し、製版、印刷、製本機などの機器類も揃ったのを機に、あらたにMacintoshを6台増設。合計21台のシステムとなる。まず手始めに自社の会社案内をカラーDTPで制作して手応えをつかんだ後、ゼンリングループの社内報の制作を請け負い、編集から印刷、製本まで一貫して行う体制をつくった。これをはずみに、県・市や一般企業からもカラーDTPによる印刷業務を受注するようになる。
現在、定期物としてゼンリングループの社内報(月刊・3800部)をはじめ、会報誌(年4回・400部×総合病院の院内報(年4回・500部)を制作するとともに、県・市の広報物やチラシ、パンフレットなども手がけている。
主な使用機種はQuadra950とIIfxが各3台、IIvx、IIciが各2台。文字の入力に関しては、大量文章の場合は外注しているが、元原稿をフロッピーでもらうケースが増えているという。写真は、ボジ、ネガ、紙焼きともスキャナーでデータ化。カラーはISC-2010、SMARTWOから、モノクロはSCANICA323から取り込んでいる。
作成したデータはEthernetでAGFA、Scitexなどのイメージセッターに流してフィルム出力し、そのまま自動現像している。色に関しては、ラフイメージなど大まかな部分はカラーコピー(PixelEPO)で確認し、色校正はIRISのSMARJJETからフルカラー出力したもので行っている。印刷、製本は別ルームだが、ここまでの工程はすべてネットワーク化された広いワンフロアで行われており、机上のパソコンからネットでデータのやりとりができるので、ディスクを持って移動する面倒はない。
●CG制作からマルチメディアに
こうしたDTPによる印刷物製作を軌道に乗せつつ、次にチャレンジしたのがCGの分野である。北九州市の30周年イベントで上映するCGをつくってみないかという話がきっかけとなった。北九州の未来を描いた30秒全900コマの映像で、この制作にあたっても、覚田氏がコンサルティングにあたった。
「CG制作として、まるごと引き受けて作ってもよかったのですが、それではサンラインとしてはノウハウが吸収できない。だから、うちでシステムの導入やセミナーを行い、難しい部分の制作も含めて全面的に面倒を見るから、いっしよにつくってみようということになったのです」
そこで3Dソフトの「ShadeIII」を納品するとともに、インストラクターとCGデザイナーを派遣し、サンラインの畑間氏を中心にプロジェクトを組んで共同で製作に当たることになった。
「とりあえず社内で3〜4名のCGチームを作り、自分たちでやれるところはやってみようと…。初心者なので、自由曲線部分など難しいところはお任せして、直線でできる部分のモデリングから入りました。とにかく初めてのことで、試行錯誤の連続。ソフトの仕組みを理解するのにかなり四苦八苦しましたね」でも、これでマルチメディアへの道も開ける自信を持ったと畑間氏は語る。
CGデザイナーも泊まり込みで作業にあたり、約2カ月かけてようやくCGが完成。コマ撮りとビデオテープ落としは、近くの職業能力開発短大にあるシリコングラフィックスのWSを借りて行った。
今度は北九州市から産業観光MAPのCD-ROM化を依頼される。これは北九州市がマルチメディア支援の一貫として行っている新映像プロジェクトの試みで、地域のデザイン制作会社から募った作品を編集してCD-ROMにまとめる作業だ。
しかし、これもまた初めての経験なので、いきなり取りかかるのはちょっとこわい。事前にまず技術の習得とテストを兼ねて、自社でCD-ROMの企画・製作を行ってみることになった。それは全国の祭を紹介した“こよみMAP”というCD-ROM。親会社のゼンリンの協力を得て、全国の支社・営業所の社員の協力で祭りの写真やビデオテープを惜り、MacromindDirectorで編集した楽しい内容だ。ROMMAKERも導入して、3000枚を自社で製品化し、去年の4月から市販もしている。「画像処理で色補正や修正をするのと、LINGOの言語を理解するのに最初苦労しましたが、後は案外スムーズでしたね」
このウォーミングアップを経て、ようやく産業観光MAPに取り組んだものの、こちらは思った以上の苦労があったようだ。「応募した制作会社自信も試行錯誤しながら作っているレベルですから、ファイルの名前も統一されていないし、LINGOの言語がバラバラでうまく動作しなかったり。それをまとめていくのにずいぶん手間取った」と、畑間氏は語る。
ただ、振り返るとクリエイティビティの向上は今後の課題としても、マルチメディアといってもそんなに構える必要はない。とにかくやってみれぱ形になるものだというのが、畑間氏の実感のようである。
現在北九州市が提供するインターネットのホームページの制作も手がけているが、当初難解に思えたHTMLも「ふたを間ければ、TeachTextに指定の形式で書き込めばいいだけの話」と畑間氏は吉う。
●BBSを活用すれば在宅勤務も
ここまで聞くとすべてが一見、トントン拍子のようだが、経営的にも成功しているのかが気になるところだ。
「確かにゼンリンからの定期的な発注によるバックアップや出向者負担金の免除など、一般企業に比べて恵まれた面はありますが、採算的には当初の5年計画をかなり上回る収益をあげています。従業員35名で乎成6年度の売上げは2億8900万円。単年度で3900万円の経常利益が出ましたから」と大川氏。ただ一般企業からの受注のウエイトを増やしてこそ本当の自立といえるが、それはまだこれからというのが正直なところのようだ。
他にも今後取り組むべき課題は多い。次のステップとして検討しているのがネットワーク・コミュニケーションシステムの構築だ。覚田氏が福岡市で開いているパブリックBBS“ペンシルネット”の活用だ。このネットの特長は、従来のBBSのようなコマンドラインを覚えなくても、アイコンのクリックだけですべての操作が行えるところにある。また28800bpsの専用モデムがあり、アナログ電話回線を使っても1MBデータをわずか6分で送ることができる高速性も魅力だ。
このペンシルネットのサーバーをサンライン内にも設置して、ここを北九州の拠点にすれば、実にいろんな可能性が広がるのではないか、と両氏は考えている。
「重度身体障害者の雇用企業とはいえ、一人で通勤できないことにはここで働けません。しかし、本当に就職したくてもできない障害者というのは、家から出られない人たちなんですよ。でも、その中にはワープロやパソコンを使っている人はけっこういる。もし、ネットでつなぐことができれば距離感はなくなる。仕事の発注から納品まで、ネット上ですべて行えるので、在宅勤務のチャンスもめぐってくるでしょう」
文字入力を委託している外注先にとってもメリットは大きい。今は低料金の仕事でも、高速道路料金と時間をかけてディスクを届けなければならない。その時、持ち帰りの仕事がないと一層つらい、という声も出ているが、ネットを活用すればこれも解決できるからだ。
さらに、医師や専門病院ともネットで連携し、ホームドクター的な機能も付加していければと考えている。これらは近々発足できるよう検討されているが、サンラィンとペンシルの覚田氏との間に築かれたパートナーシップなら、GOとなれば実現は早いだろう。デジタル枝術は、ハンディキャップ、媒体、そして距離感の壁を溶かしてくれる。コンピュータによって取り払われる垣根は大きい。
こうした展開は、福祉型企業、第三セクターという特殊なケースだけの意義を持つものではない。起業家にとってデジタル技術がいかに新しい事業領域の力になってくれるかを実証し、地方でのパプリッシングの発展を導く方向性とヒントを示唆している事例であると言えるだろう。
(現状報告:ペンシルネットのBBSは、諸々の事情により閉鎖いたしました。その変わりに1995年にインターネット上に「あるる」という掲示板を作成し、全国から参加できるオープンスタイルの掲示板に生まれ変わり、99年の今では月間の情報登録数は約1万件、アクセス数は10万件近くになりました。)