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●コラム:文章が嫌い2(文章を書く人が嫌い) かくだよしあき
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文章が嫌い。
だから、文章を書くということだけを趣味にしていたり、仕事にしていた
りする人なんかも嫌い。
自分の気持ちの一部を切り取って、それで、表現したなんて言えるような
浅はかな考えが嫌い。
文字というメディアを選んでいることが嫌い。
自分の言いたいことは、もっと別の伝え方があるはず、もっと別の表現方
法の方がいいような気がする。
文章には文字しかない。ジェスチャーもイントネーションもなく、バック
グランドの映像も音もない。ただ、文字がならんでいるだけ。
だから、きれいに見せたかったり、文学的に見せたいと思うと、テクニッ
クや表現方法が必要で、本来の伝えたい内容に色々なデコレーションがさ
れ、結局、本当に伝えたいことは、薄れたり、少なかったりして、感性や
感情までは伝えられないと思う。
きれいな音楽を音符にすることはできるが、
きれいな歌声を音符にすることはできないのだ。
それと同じように、人間の気持ちやイメージは、文章にできるほど単純で
はなく、もっと感覚的で複雑だと思うのだ。
そして、突発的に一瞬で考えがドンドン変化する。しかも、人の心は常に
多面性を持って、様々な考えが交差する。
そんな、心の中をどうして文章という固定された時間と空間の中に、閉じ
込められるというのだろうか?
書いても書いても書ききれない。書きすぎると言葉が埋まる。
でも、言葉がないと真実は伝えられない。
文章を否定するのではない。
そこで、立ち止まるなと言いたいのです。
もっと、別の表現方法がきっとあるはず。
もっともっと、自分を表現する他の方法を見つけて欲しいのです。
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